第三十二番 般若山 法性寺 (曹洞宗) 08.11.22









バスは「第三十二番法性寺」山門に横付けにされた。
山門の両脇には仁王がいるが、二階に鐘があるので、鐘楼門というのだそうだ。
門を過ぎると早くも石段。
だが、こんな所で怯んでいられない。
この石段は難儀のほんのちょっとした始まりに過ぎない。


境内にたって上を見上げると山と山の間のはるかな高みに小さく立像が見える。
あれが奥の院の岩船観音と通り過ぎる参詣者が話している。
そうと教えてもらわなければ、決して分からないだろう米粒ほどの小ささなのだ。
同時に不安が押し寄せる。
あの高さまで上れるだろうか。
(写真を拡大して見ても岩船観音は写っていない。このアングルではダメなのだろうか)。









本堂の背後から巨大な岩が横にせり出して、その岩に乗るように観音堂が建っている。
また、石段を上る。
お堂は懸崖にしつらえられた舞台造りである。
扁額には「補陀巌」、「般若堂」の文字が見える。
この寺の寺宝に「長享の札所番付」がある。
秩父札所の最も古い記録文書で、現在の三十四所になる前の、「一番定林寺」から始まる三十三所が墨書されている。
「長享札所」では「第三十二番法性寺」は「第十五番般若岩殿」である。
般若は「法性寺」の山号となり、現在は「第三十二番般若山法性寺」と号している。








観音堂の裏は岩窟でちょっとした洞のようになっている。
陽が差さない暗い空間に小堂がある。
子授け地蔵堂だとか。
堂の周りには、石仏や墓石が無秩序に雑然と立っている。








奥の院へ向かう。
巨岩の間をすり抜けてゆく。
岩はどこにもごろごろと顔を出している。
秩父札所は三十四所もあるから「なんとか寺」と言われても思い出せない寺もある。
だが、この「第三十二番法性寺」と奥の院は忘れることはないだろう。
札所の縁起とか本尊伝説とかよりも、肉体的な辛さが記憶の核をなすからである。
この奥の院への500メートル、30分にわたる登攀のしんどさは格別なものがあった。


















階段は自然石を彫ったもの。
階段がないところは鎖をつかんでよじ登る。
雨が降った後は、滑りやすくて危険だろうと思う。
足腰が弱い老人には、とても勧められない。
気に入ったのは、登り道がほとんど手入れされていないということ。
ほぼ昔のままに放置されたままだ。
人が大勢来る。
怪我をしては困るから、普通、安全策を講じ、上りやすいように配慮する。
ケーブルでもつけようか、などと考える輩がいたとしてもおかしくない。
そうした時代、往時からの状態を保ち、自己責任で上らせる寺のやり方は、僕には好ましく感じられる。















道のところどころ、岩の窪みに石仏がある。
なぜ、黄色いのか、自然に彩色されたのだろうが、その絶妙さは見事だ。

やっとの思いで上りきるとそこは巨大なむき出しの一枚岩で、この岩そのものが奥の院となっている。
船の形をしているから船岩と呼ばれ、舳先にあたる突端には、奥の院観音像がすっくと立っている。

「磐上の観音立像秋気満つ」
「秋天にすっくと秩父観音像」 たける
(たけるは大学時代の友人の俳号。ブログを見たと句を送ってくれた)。

紅葉した秩父の山々をバックに佇む観音様は、絵のように美しい。
現実的な空間とは思えない幻想的な光景である。
喘いで登った者だけに与えられる眼福といえようか。








岩船の頂上には、金剛造りの大日如来が在る。
鎖を掴み登ろうとしたが、急傾斜で危なくて断念。
残念だったが、それほど心残りがないのは、苦労して登って見えたお船観音に圧倒された直後だったからだろ
うか。
札所巡りをして良かったと心底感じた「第三十二番法性寺」奥の院だった。

「山の中に色よきままの朽葉かな」 素外

0 件のコメント:

コメントを投稿